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ダメな人間の独り言を綴るブログ

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大分の話しが話題になっているので、

教員採用汚職:高校でも口利き(毎日新聞:08/07/11)

教員を目指していた経験がある(!)ので、この手の話しは現役時代、結構耳にしていた。

自分は、コネもカネもなかったので、利用は出来なかったけど。


で、今回の話し。当然氷山の一角であって、全貌は明らかにならないだろう。現状の教育制度を維持したいのならばなおさら。

公平性を求めるなら、試験は閉鎖的にならざるを得ない。逆にオープンな試験って、人気投票以外に考えられないし。

あと、教育委員会が悪い、ってのも、現在の教育制度を維持したければ改善できないと思う。


じゃあ、どうする?


答えは簡単。今の採用試験制度を止めればいい。

議論は、

『「教師」とは何か?』

『そもそも「教育」とは何か?』


・・・って話しまで広げていく必要がある。教師の選び方とか、これからどう汚職無くすか、なんて議論はナンセンスすぎる。


人間は社会を構築するために、教育が必要になる。つまり、どのような社会を構築するかによって、教育も変わっていくということだ。

今行なわれている教育は、個人主義を賞賛し、人と人との結びつきを破壊することを目的としているとしか思えない。


例えば、年齢による学年制。能力に合わせるのではなく、ただ生まれた年で横に区切られている。クラス内で、「できる子」と「出来ない子」を生み出し、結果として差別を生み出している。

例えば、「国語」。あからさまに「日本が単一民族国家である」と言いたいのだろうが、せいぜい「言語」、「自国語」と呼ぶべきだろう。この発想は、在日の方とか、移住者を差別することにつながる。

教育の結果生み出された社会は、家族を破壊している。すなわち、親が子を殺し、子が親を殺すような社会になってきたということだ。

そのような社会を生み出した教育を賞賛し、維持するために、教育委員会が存在し、教員採用試験が存在するのであれば、教育委員会も、採用試験も廃止しなければならない。


・・・と、批判するならここまで言ってみる。後悔はちょっとしてる。公開しても誰の目にも止まらないブログだと思って好き勝手書いてみた。
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